
スペシャルロングインタビュー

グッドネーバーズ・ジャパンは、2004年12月の設立から20年余りにわたり、災害や紛争、貧困など、困難な状況にある人々に寄り添い、必要な支援を届けることを使命に、国内外で活動を続けてきました。 その歩みを力に私たちは今、次の20年に向けて新たな一歩を踏み出そうとしています。
「誰かの力になりたい」「自分の力を社会に生かしたい」――そう願う方にとって、グッドネーバーズ・ジャパンは、きっと大きなやりがいを感じられる場所です。
ともに悩み、ともに学び、ともに歩んでくれる仲間を、私たちは今、心から求めています。
こうした想いや今後の展望を、事務局長兼代表理事の小泉が、インタビューを通して詳しく語っています。
ぜひ、ご一読ください。
聞き手:経営企画室
※本記事は2025年9月時点の情報に基づいています。
スラム街での出会いから始まった国際協力の道
― 経営企画室: まずは、国際協力の道を志すようになった原体験から聞かせてください。
小泉: 私は高校を卒業してしばらく、空手道の師範をしていました。ところが怪我をしてしまい、リハビリを兼ねてムエタイ見学にタイのバンコクへ行きました。その時、偶然迷い込んだスラム街での体験が、私の人生を根本から変えました。
そこには、私がこれまで想像もしなかった現実がありました。トタンとビニールシートの家、汚れきった川、生ごみの腐敗臭、裸足で走り回る子どもたち、その結果それが日常であるという事実。あまりの理不尽さに、私は怒りに震えました。「これは間違っている。こんな環境で人間が暮らしていて良いはずがない」。その怒りはやがて、「何とかせねば」という強い衝動へと変わりました。
― 経営企画室:タイで見た光景が人生の方向を変える決定的な体験になったのですね。
小泉:はい。天命を授かった瞬間だったと思っています。そして当時の世間知らずな私は、こういう大きな課題の解決は国連でやるのだと単純に思い込み、まずは大学に進学することにしました。英語を身につける必要もあると思い、日本の大学で国際関係を学びながら、交換留学でアメリカへ。そのまま現地の大学に編入し、経済学を勉強しました。さらに大学院に進み農業経済学を専攻しました。なぜ農業かといえば、途上国の多くの人が関わる基幹産業であり、そこから支援の可能性が広がると考えたからです。
― 経営企画室: 卒業後はすぐに現場に出られたのですか?
小泉:卒業後は、大学時代にインターンをしていたNGOにそのまま就職し、東京の事務所でシルクロード事業を担当しました。しかし遠隔でのマネジメントは課題が多かったので、新たに駐在費用を調達して中国・甘粛省の現場に駐在し、直接プロジェクト実施の指揮をとることにしました。そこは当時貧困度合が高い地域で外国人の立ち入りが制限されており、生活する環境としては非常に厳しい山間部で春先には餓死者が出るほどでした。
電気や水のインフラも整っておらず、多くの家庭が村の井戸に水を汲みに行き、夜の明かりはランプという状況でした。私の宿舎も電気水道はほとんど止まっていましたから、貯水槽から汲んできた水をいつもバケツに貯めておくのですが、冬は外気がマイナス30度まで下がり家の中でも霜が降りるような寒さなので、当然バケツの水も凍ってしまいます。毎朝その氷を砕いてヤカンにいれ、石炭で沸かして、お茶を入れるというのが毎朝の日課でした。夜はPCが文字通りフリーズしないように電気の通っていない冷蔵庫に保管していました。
― 経営企画室:大変な環境下での事業だったのですね。小泉さんが携わっていた中国の支援事業はどのような事業だったのですか?
小泉:養豚を中心とした総合経済開発事業です。当時私が担当していた事業によって現地の人たちの暮らしが良くなっていくのを見て、大変やりがいを感じました。 まず農家に子豚と飼料を無利子・無担保・無保証で貸与し、育ててもらいます。成長した豚は市場で販売され、その売上から子豚と飼料の代金の「返済」が行われます。加えて豚が病気で死んでしまい返済できない場合に備えて保険制度を作って加入してもらいました。
加えてあとは、子豚を生産する種畜場と豚肉の売買を行う市場の整備をすすめました。さらには豚肉の過剰生産による市場価格の下落を回避するため6次産業化と域外への流通を強化し、豚の解体を行う屠畜場の整備、ハムやソーセージなどの加工場の建設にも取り組みました。加工品は観光地などで販売し、さらなる収益化を図ることができました。
そして日本から養豚の専門家を招聘して現地政府の畜牧局職員を徹底的に訓練し、村々の防疫ステーションに薬剤や資材・器具を整備しました。こうした多角的な取り組みによって事業は好循環を生み、中央政府や外国の視察団が訪れるまでになりました。
この事業を通して、いわゆる開発援助ではなく、ビジネスを中心にすえて、資本を投下して経済を回していく取り組みによってでも、人々の生活は良くなる事を実感しました。


― 経営企画室:養豚事業の仕組みは、一見すると単純な貸与スキームのように見えて、実は保険や流通、加工、観光との連携まで含んだ複層的な仕組みになっていたのですね。「ソーシャルビジネス」の先駆けですね。
小泉:そうですね。とはいえ成功の一番の要因は中国の経済発展の波に乗れたというタイミングに恵まれた幸運でしょう。一方で、当時痛感したのが、「日本のNGOはお金がない。スタッフの給与が低い」という現実でした。日本の多くのNGOは経営基盤が脆弱で、あてにしていた助成金が取れなかったり、減額になったりすると、 事業ができないだけでなく、人員整理をせざるを得ない状況でした。
― 経営企画室:かつては、“NGOやNPOには男性の『寿退社』がある”と言われていましたよね。
小泉:そう、実際、当時所属していたNGOでも、給与水準がもう少し高かったら、一緒に働き続けられた同僚たちが泣く泣く辞めていきました。数か国語をあやつり大学院で国際協力を学んだ志ある人たちが、結婚して子どもを育てていくには給与が安すぎて生活が成り立たないという理由で辞めていかざるをえない理不尽な現実に、怒りを覚えることが多々ありました。「道を謀りて食を謀らず」とはいえ限度があります。
― 経営企画室:当時の日本のNGO/NPOが抱えていた「志ある人材を経済的に支えきれない」という課題は、まさに組織の持続性に直結する深刻な問題だったのですね。
「天津甘栗の一粒が教えてくれた使命」――再びNGOの世界へ
そうした状況のなかで、小泉さんご自身も様々な経験を重ね、 一度はNGOの現場を離れた時期もあったそうですが、そこからどのような経緯で再びNGO、その結果「グッドネーバーズ・ジャパン」と関わることになったのか、その後のお話を聞かせてください。
小泉:はい。シルクロード事業の経験からビジネスでも人々の生活はよくなる事がわかったので、ビジネスで途上国の人々を潤しながら、日本側の自分たちも、高くはなくてもちゃんと生活が成り立つ水準の給与を得ることを目指して、フェアトレードを中核としたソーシャルビジネスの会社を立ち上げました。途上国の協同組合やNGOと連携し、現地で生産された商品を日本で販売するという仕組みをつくりました。
たとえばスリランカでは、環境に配慮した方法で原石を採掘し、それをインドの児童労働に依存しない研磨工房で加工。さらに香港や韓国の職人の手でアクセサリーに仕上げ、日本で販売しました。そこから得た収益は、かつて自分が駐在していた中国・甘粛省の子どもたちへの奨学金として還元していました。
良かったことはこの時代に、マーケティング戦略や顧客満足度向上などビジネスの基本を幅広く身に付け、加えて法人を経営する際に必須の経理や労務といった管理系全般の知識を習得できたことですね。
ただ、ビジネスには、良い時もあれば悪い時もあります。
良い時は手にしたことがないような大金が転がり込み、さらに欲が出てひたすらお金を追い求める。一方で悪い時には、大きく損失を出して借金が膨れ上がる。返す当てがない借金が増えていく恐怖というのは精神を蝕む。 気づけば、立ち上げ当初にあった「フェアな取引で世界を少しでも良くしたい」という志は雲散霧消し、「どうすればもっと儲かるか」「どうやって借金を減らすか」といったことばかりに頭の中が支配されていました。完全に自分を見失い迷走状態。そして、そんな自分の変化にすら、当時はまったく気づいていなかったのです。
そんな時、リーマンショックの影響で売上が急落し、生活のために横浜中華街で天津甘栗を売るアルバイトを始めました。寒空の下、栗を焼き、路上で声を張り上げて甘栗を売る日々でした。観光客から蔑みの暴言と共に足元に唾を吐かれたり、無理を言うお客さんがいたりもあり、職場のパワハラ・モラハラもあり、借金もあり、厳しい時期でした。
そんなある日、いつもの様に栗を焼いていたら、釜から栗が一粒跳ねて、床の一斗缶の中に落ちて、音をたてた。「カコーン」。その瞬間、なぜかその音で突然、迷いから覚めて、「うわあ、俺なにやってんだろ。世の中を良くするんだった」と。忘れていた使命を思い出しました。その瞬間だけは時間が止まったような不思議な感覚でしたのでよく覚えています。そしてその日の夜、目に飛び込んできたのが、グッドネーバーズ・ジャパンの事務局長募集の求人でした。
― 経営企画室: 運命的な再スタートですね。
小泉: はい。まさに天啓でした。シルクロード事業をやっていた時代、生活が成り立たず志半ばでこの業界を去っていった多くの同僚の顔が思い出されました。事務局長という立場ならば、もしかしたらあの時代に切望した「志を持った人たちが、人生を犠牲にせずに働き続けられる職場」を実現できるかもしれないと無謀にも考えたわけです。今回は自分がプレーヤーとして舞台に立つのではなく、舞台をつくることが自分の仕事だと捉えました。
だからこそ、私たちはスタッフの待遇改善や能力開発に本気で向き合っています。給与水準の向上に力を入れ、NPOスタッフが“当たり前に選ばれる”職業となることを目指します。NPOスタッフの待遇改善はまだ社会的理解が十分とは言えませんが、そうであればこそ、その価値を広く伝えていくことが重要です。まずは自分たちの団体で、日本の全産業の平均給与水準と同等の待遇を実現し、それを業界全体へと波及させるような存在を目指します。そして、いずれはNPOで働く事が「ボランティア的な奉仕活動」ではなく、「安心して生活できる収入が得られる職業のひとつ」として考えられるように社会全体の認識が変わっていったら良いなと思っています。
加えて、フレックス制度や在宅勤務や時短勤務などライフステージに応じた柔軟な働き方、資料・稟議・会議等のオンライン化、新卒や未経験者が成長できる仕組み等々、そのすべてが、優秀な人材を集め支援活動の質を高める投資だと考えています。
そして、これらの取り組みは、すでに共に活動してくれている現スタッフへの感謝の表れでもあります。スタッフ一人ひとりの努力と工夫が、グッドネーバーズ・ジャパンの信頼と成果を築いています。これからも仲間として、互いに学び合い、挑戦し合いながら進んでいきたいと考えています。
命の期限を知り、覚悟を決めた ――グッドネーバーズ・ジャパンの未来構想と人づくり
― 経営企画室:なるほど。そうやって働く環境の改善とスタッフの能力強化を進めた結果、スタッフ数が2名から60名に、事業規模も年間3000万円から30億円に成長したわけですね。それも2021年から急成長していますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
小泉:はい。実は2020年にガンの手術をしました。今は寛解しましたが自分がガンと診断されたときは、さすがに大きな衝撃を受けました。怒り、悲しみ、恐怖、後悔、混乱、いろいろな感情のあと、命に期限があることを深く理解した。その結果、残された時間で、公私ともに、やるべき事やりたかった事をやってしまおうと覚悟が決まりました。まずは、保護犬を家族に迎え、お世話係として幸せな下僕生活を送っています。元保護犬は過保護な犬になりました。
仕事面では経営に専念するようになり、現場仕事は引退して完全に部下に任せるようにしました。事務局長とはいえスタッフの少ない時代は現場仕事も多く、2009年から2020年までの間に延べ16か国22件の緊急人道支援に自ら出動していました。災害現場での被災者支援活動はスピード感があり実際に人の役に立っている実感のある大変やりがいのある仕事でしたが、自分の命の期限を自覚した時、自分がやるべき事の優先順位を整理し、手放しました。
国内外を問わず社会課題は多く、まだまだやるべきことが山積しており、この世界をこのまま次の世代に渡せない。一刻もはやく団体を大きく成長させ、社会変革の最前線で戦う力強い組織にしていきたいと思っています。
― 経営企画室:小泉さんの歩みをうかがう中で、現場での実体験や国際的な視点、そしてビジネスの発想が重なり合い、現在のグッドネーバーズ・ジャパンの基盤が築かれてきたことを実感しました。今後、グッドネーバーズ・ジャパンはどこを目指していくのか、お聞かせください。
小泉:今後、国内では支援の拠点を全国10か所に増やし、日本の生活困窮状態にある推定約60万世帯のひとり親世帯の1割にあたる6万世帯に毎月グッドごはんを届けたいと考えています。2025年7月時点で6000世帯ほどなので先は長いです。又、課題の根本的解決をめざすべく政策提言にも力を入れていきます。特に、ひとり親家庭における「養育費の未払い問題」については、極めて深刻な社会課題ととらえています。当事者同士の交渉に任せるのではなく、諸外国の様に国家が責任をもって介入し、養育費の支払いを確実に履行させる仕組みの導入が必要だと考えます。
一方、海外支援においては、駐在員を派遣している海外拠点を25か国に増やし、気候変動による災害被害の甚大化に対処すべく、世界で日本がリードしている災害リスク低減の分野で貢献を高めていきたいと考えます。加えて残念ながら紛争も多発するようになっています。グッドネーバーズ・ジャパンの強みである“緊急人道支援から開発支援へとつなげていく”というアプローチをさらに発展させていきたい。短期的な救援だけでなく、現地の人々が自立できるような持続可能な仕組みを構築することが私たちの役割です。
そして、こうした活動に対して賛同・応援してくださる人達が我々と一緒に活動を進めていけるように、いろいろな形で参加できる選択肢を用意する必要があると認識しています。例えば物品や金銭の寄付だけでなく、労働力・専門知識・人脈・発信力を活かせるプログラムを作るのは我々の責務です。本質的に人は人の役に立ちたい。参加の間口を広げるチャレンジを諦めてはいけないと思っています。
― 経営企画室:壮大な計画ですね。そうすると、さらにスタッフが必要になりそうですが、人事や採用といった面については、どのような課題や展望をお持ちでしょうか?今後のグッドネーバーズ・ジャパンにおける人材戦略についても、お聞かせいただけますか。
小泉:現在、組織は急成長をしていますが、一方でスタッフ一人ひとりのスキルや成長がそのスピードに追いついていないのが現状です。とくに中核を担う管理職の層では人数だけでなくスキルも経験も不足しており補強が経営上の重要課題となっています。
また、少子化の影響もあって、若手人材の確保が年々難しくなっています。組織の持続性を維持するために年齢構成のバランスを保つことが大切なので、新卒採用を開始する計画が進んでいます。
そして、AI等の最新技術を積極的に導入して、必要となる人数を極力抑制してはいますが、支援活動が拡大していく中、どうしても追加採用は避けられず、この採用難の時代をどう乗り切っていくのか試行錯誤しています。
とはいえ誰でも良いわけではなく、採用には細心の注意を払います。採用の失敗は教育では取り戻せないので、最終面接は必ず私が行います。必要なのは、スキルとモラル、そしてスキルよりもモラル重視で採用します。知識や経験が豊富でスキル面では申し分なくても、なぜ働くのかという「志」や組織文化へのフィット感等のモラル面がいまひとつであれば、歯を食いしばって不採用としています。単に人を増やすのではなく、それぞれが使命を果たすべく意欲的に働く「同志」を増やし、その結果採用したスタッフに対しては積極的に研修や挑戦の機会を与え成長を後押ししていきたいと考えています。
成果も使命も、人も育てる――グッドネーバーズ・ジャパンの挑戦
ー 経営企画室:「志」や「同志」の話が出ましたが、組織全体で60名を超える規模になってくると、さすがに幕末の志士のような命がけの人ばかりで組織を構成するのは難しいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
小泉:痛いとこ突きますね。たしかに寝ても覚めても仕事の事を考え、仕事に人生をかけているような人は2割ぐらいかな。それでも、残りのスタッフたちも社会課題に対して“何とかしたい”という思いを胸に、天に恥じず士気高く、自分のペースで働いてくれています。団体の初期のころに中核を担っていたメンバーたちも、ライフステージの変化とともに自分の中で優先順位が変わり、働き方も変わってきているのが現実です。
今、私たちの職場には、20代から60代までの幅広い世代、男女ほぼ半々のスタッフ、外国籍の学生アルバイト、障がい者雇用枠の仲間も共に働いています。多様な背景や経験を持つ人材が集まることで、より創造的で柔軟な思考のチームが生まれ、社会課題解決への新たな視点を生み出すと信じています。
それから、スタッフは何もずっとグッドネーバーズで働かなくてもいいと思っています。自分自身のビジョン・ミッションとGNJPのビジョン・ミッションが重なっているうちはグッドネーバーズで働き、時と共にズレてきたら離れて、また重なってきたら戻ってくれば良いです。実際、一度離職した後に再び仲間として戻ってくるケースも少なくありませんし、副業など多様な働き方を選択しているスタッフもいます。
― 経営企画室: 若い世代の応募者の中には、「ここで成長できるのか?」という点が気になる方も多いと感じます。その点についてはいかがでしょうか
小泉: それは当然の問いですね。グッドネーバーズ・ジャパンは、自ら成長を望む人にとっては絶好の環境です。ただし、これは“指示待ち”の人には当てはまりません。私たちのような組織では、現場で課題を見つけ、自分の頭で考え、やりたい事を提案していく自発性が何より求められます。そういった動きをする人には、年齢や経験に関係なく、どんどんチャンスを与えていきます。
実際に、若手が国際会議の場に立ったり、新規プロジェクトの立ち上げを担ったりするケースも珍しくありません。提案が通れば、それがあなたの担当になります。成功させる責任も伴います。その分プレッシャーもあります。でもそのプレッシャーに向き合って、仲間と支え合いながら乗り超えていく経験こそが、本当の意味での成長につながるのだと感じます。だからこそ、自分で学び、動き、育っていける人は、成長のスピードは段違いに速いです。
― 経営企画室:若手の他に管理職の中途採用も時々ありますが、管理職へ求める資質はどのようなものでしょうか?
小泉:部署により最適な資質は異なるので、一概には言えないのですが、共通して必要な資質が3つあります。ひとつめは部下の成長を真剣に考え適切な挑戦をあたえられるか、ふたつめは部下の相談を親身になって聞けるか、みっつめは部下に慕われる人柄か。慕われていないと命令したところでだれも聞いてくれません。究極のところ、人を導くには、人間性を磨くしかないと思うのです。とても難しく一生かかっても終わらない修行のようなものです。日本の茶道や武道でいうところの「道」に通じるものがあります。
― 経営企画室:若いころの空手道とつながりましたね。さて、改めて伺いたいのですが、営利と非営利の経営にはどのような違いや共通点があるとお考えですか?
小泉: 営利と非営利の最大の違いは、目的の位置づけです。営利企業は「利益を出す」ことが目的として明確にあります。ただし、松下幸之助のような優れた経営者は利益だけを追い求めたわけではなく、社会全体への貢献や社員の幸福を含めた広い視野で経営を行ってきました。つまり、本当に良い経営とは、営利・非営利にかかわらず、利益と社会的使命の両立を目指すものだと感じます。
非営利の場合、利益は目的ではなく手段です。収入、利益、その結果社会的インパクト、この三つをバランスさせる必要があります。収入に固執して利益を軽んじれば活動の拡大に必要な戦略的投資の原資が確保できず、利益だけに偏れば使命が形骸化し、逆に社会的インパクトだけを追求すれば、財務基盤は成長せず、活動の持続性が危ぶまれ、インパクト自体も小規模で終わってしまいます。
もう一つの大きな違いは、働いている人の動機です。非営利では、同等のスキルや経験を持つ人材でも、大手上場企業ほどの給与を支払えないのが現状です。だからこそ、ここで働く理由はより内発的な動機、つまり「なぜこの仕事をするのか」という強い志に依拠します。
さらに、非営利の経営では、日本社会の非営利組織に対する認識が、ソーシャルセクター全体の成長の足かせになっています。非営利組織にも営利企業と同じビジネスルールが適用されるべきです。非営利組織も長期的な投資戦略や、リスクのあるチャレンジ、独創的なマーケティング活動、資本への広範なアクセス、そして競争力ある待遇が許容されると、この業界は飛躍的に成長し、ずっと解決できないでいた社会課題が片付いていくはずです。
― 経営企画室: 最後に、これから応募を検討する読者に向けてメッセージをお願いします。
小泉: 私たちが求めているのは、経験やスキルよりも「志」です。社会の不条理に対して義憤に燃えている人、世の中のために自分に何ができるかを問い続けられる人、その結果正解のない世界で旗色を鮮明にし自分から動く覚悟のある人。
グッドネーバーズ・ジャパンは、社会を良くしたいというあなたの使命を実現できる舞台です。仕事を通じて成長し、世の中を良くしていく、そのために困難も恐れず挑戦し、必ず成果を出すという覚悟が決まったら、ぜひ躊躇せず応募してください。ご縁があり機が熟した時、道が開けるはずです。より良い世界をめざして一緒に戦いましょう。
